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田原俊彦

田原俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。

神奈川県横須賀市。フォーミュラミュージックエンタテインメント所属。

愛称はトシちゃん。妻は、モデルの向井田彩子。長女はタレントの綾乃美花。


来歴・人物

田原俊彦は神奈川県横須賀市生まれ。山梨県立甲府工業高等学校(全日制・土木科)卒業。放送大学教養学部在学中。身長175cm、体重59kg。姉が2人、妹が1人いる。

歌手デビューまで

1967年3月、横須賀・大津マリア幼稚園を卒園後、同年4月に横須賀市立馬堀小学校に入学。しかし、入学後間もなく6月23日に父が糖尿病で亡くなり、一家の生活が立ち行かなくなったため、翌7月2日に母の故郷である山梨県甲府市桜井町に転居。母の手ひとつで育てられながら、高校卒業までを甲府市で過ごした。

幼い時に父を亡くして、田原自身を含む4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しく、また芸能界に対する強い憧れもあって、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせるには芸能人になって成功する以外に道はないと中学時代から決意していた。高校1年生の5月、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったが、返事が来なかったため、事前の連絡もせずに東京の事務所を直接訪問し、直談判の末に入門を認められる。高校時代は週末ごとに事務所のレッスンのため甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後、1979年3月1日、高校卒業と同時に正式に上京した。母は当初、息子の芸能界入りに反対していたが、息子が正式に上京する時には、「やっぱり芸能界は無理だった、なんて言って逃げて帰って来るんじゃないよ」と言って送り出したという。

テレビでの初出演は1978年の秋(当時高校3年生)、テレビ朝日の『とびだせ!パンポロリン』にて。歌と体操のお兄さんとして出演していたギャングスの松原秀樹の代役出演であった。

1979年4月、曽我泰久(現:曾我泰久)、長谷部徹と共に、川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ「ピラミッド」を結成。 同年7月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』にもピラミッドとして出演。この番組には「ジャPAニーズ」も共に出演していた。同年7月、フォーリーブスのおりも政夫がミュージカル『南太平洋』に出演した際に、1ヶ月間だけ彼の付き人を経験。

学園ドラマ『3年B組金八先生』に中学生役で出演が決まった時、共演の近藤真彦と野村義男は実際に中学生(当時15歳)であったが、田原はすでに18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)で高校を卒業していたため、事務所側の意向もあり、1歳若く年齢を詐称。その年齢との辻褄を合わせるために、公式のプロフィールも「高校を2年一杯で中退」に変更しなければならなかった。この件については、後に歌番組の中で謝罪している。なお、『金八先生』で共演した近藤と野村とは、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。『金八先生』に出演していた当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。

歌手デビュー後
  • 1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『ニューヨークシティナイト』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビュー、1980年代のトップアイドルとして活躍する。ダンスのうまさも手伝い、日本におけるダンスビートにのせて踊りながら歌うポップスの男性アイドルとしての存在を明確にした。第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。その後も『教師びんびん物語』など、多くのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。
  • 1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップ。
  • ファンによるステージ用の応援コールも生まれた。 代表的なものは「T・O・S・H・I スーパーアイドルLOVE俊ちゃん!」。
  • 『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持つ。その後の3作はTOP入りを逃すも、『雨が叫んでる』で通算38作目の、かつ現在で最後のTOP10入りとなった。なお、通算で38作のオリコンTOP10入りは、サザンオールスターズの『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』に破られるまで、当時歴代1位の記録だった。
  • TBS系『ザ・ベストテン』では最多出場記録を持っており、同番組には田原の名前入りの青いソファーが1988年1月7日よりスタジオに設置されていた。このイスは、1987年12月31日の『ザ・ベストテン』放送の際に紹介された。
  • フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演したのはデビュー9日後の1980年6月30日放送の回である。それ以降、原則月1回~2回のハイペースで出演を続け、番組終了(1990年10月)までの間に158回の出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題され、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回(1985年5月、1986年12月、1989年6月)抜擢された。『教師びんびん物語』主演当時には教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露したり、座長公演の最中での出演時にはその舞台でのいでたちで番組に登場したり、渡辺貞夫・久保田利伸などとのセッションを行うなど、パフォーマンスを数多く番組内で披露した。レギュラー放送最終回である1990年9月19日放送では、トリを任されスタジオを駆け回りながら『ジャングル Jungle』を熱唱した。
  • 1980年から1986年まで、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場していた。 しかし1987年、歌手活動よりも俳優業に本腰を入れていたせいもあってか、シングルは『KID』、ドラマ『ラジオびんびん物語』の主題歌『どうする?』等3枚発売されていたものの、落選。翌1988年に発売された『抱きしめてTONIGHT』がフジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』の高視聴率とリンクしたこともあり、久々の長期的ヒットに発展。同年の紅白に選ばれるが、前年落選の報復をするかのように、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明。1989年にも『ごめんよ涙』でヒットしたものの、結局不出場。その後、NHKの番組には一切出演していなかったが1994年、『ふたりのビッグショー』(松田聖子と共演)、2005年には『思い出のメロディー』に出演。
  • 当時Jrだった中居正広は合宿所で、田原が使用中だったシャワールームのドアをうっかり開けてしまい、偶然彼の全裸姿を目撃した時「その股間の立派さに驚いた」と後に語っている。また、当時シブがき隊で活動中だった薬丸裕英が合宿所に遊びに行った折、風呂上りの田原と遭遇してしまうが、その薬丸もやはり「凄い立派なものを持っている」と語っていた。その後「爆!爆!爆笑問題」出演時に、自ら「でかくはないがテクニックははんぱない」と噂を否定している。
  • 諸星和己の回想によると、当時の田原はジャニーズ合宿所では別格で、近藤真彦も頭を下げる事があるほど絶対的な存在だったという。
  • 1983年の『ザ・ベストテン』の特番にて、近藤真彦が当時の流行歌『浪花恋しぐれ』を番組内でカヴァーする予定だったが、本番直前に負傷するアクシデントに見舞われ、病院に行く事に。急遽田原に白羽の矢が立ち、代わりに歌うことになった。生放送ゆえ時間がない中、5分で歌詞とメロディを叩き込み本番を成功させた。
ジャニーズ独立後
  • 1994年3月1日、ジャニーズ事務所から独立して個人事務所「DOUBLE "T" PROJECT」を設立。ジャニーズから独立した経緯について、田原本人は2009年の『週刊女性』のインタビューにおいて、「ジャニーズは嫌いじゃなかった。ケンカ別れじゃないし。でも、ジャニーズはあくまでティーンエイジャーのための会社。(中略)タレントがある程度のキャリアを積むと、ジャニーさん(社長のジャニー喜多川)はもう現場に来ませんよ。僕の最後の方も、光GENJIがいたり、SMAPを作り始めたりしていましたから。33歳ぐらいでジャニーズを卒業したのは、ある意味、自然の流れだったんです」と説明し、独立の理由はあくまでもタレント達の世代交代にあった旨を語っている。
  • ただし、ジャニーズ事務所側が田原の独立を快く思わなかったことは事実とされ、田原が事務所から独立する前年の1993年には、それまで毎年行われていた田原のコンサートツアーが全面的に中止された。また、田原本人も『週刊女性』のインタビューにおいて、「ジャニーズにいた方が安泰だったとは思います。事務所を離れてからは、テレビ局のプロデューサーとかがビビって“(ジャニーズ事務所から圧力をかけられているため)田原俊彦とジャニーズのタレントを一緒の番組には出せない”なんてことが起きました。わざわざ去った人に協力する必要はない。ジャニーズ帝国というのは、外に出て行く人間に対しては絶対的にNOなんですよ」と事務所の内情を告白している。
  • 1994年2月、ジャニーズ事務所から独立する直前に長女が誕生した際の記者会見で、「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきません」などと語った、いわゆる“ビッグ発言”がマスコミの物議を醸す。この発言が響いたためか、翌1995年度には「an・an」の嫌いな男ランキング1位となり、メディアへの露出が急に減ってしまった。この「僕ぐらいビッグに・・・」発言は、発言当時のみならず田原の独立後も各マスコミから「生意気」などと激しく叩かれた。このようなマスコミの攻撃に対し、ジャニーズ事務所側が田原を擁護する動きは一切なかった。
  • その後は目立った活躍の場を与えられる機会も少なく、複数の事務所を転々とするも、古くからのファン達に支えられて地道に歌手活動を続け、現在も毎年新曲を発表し、ライブやファンイベント、ディナーショーなどを確実に行っている。なお、田原本人は、自身がジャニーズへの入門時から練習生たちの中でも特に社長のジャニーから厚遇されていた思い出を語り、「俺は自分では一番ジャニーズらしいタレントだと思ってた。ジャニー喜多川が一番作りたかったのは田原俊彦だったろうって自負があるから今も頑張れる。そういう意味では今でもジャニーさんには感謝の気持ちしかない」と、ジャニーへの変わらない敬意を示している。
  • 交友関係においては、プロサッカー選手の三浦知良とは、三浦がまだ無名だった頃からの親友であるという(田原のファンであった無名時代の三浦が、1987年に静岡で行われた田原のコンサートに遊びに行ったことがきっかけ)。1993年、三浦がJリーグアウォーズ表彰式で、初代MVPを受賞した際着ていた真赤なタキシードは、田原が10周年コンサートツアーで着用した物である。また、かつてデュエット共演した研ナオコとは非常に仲が良いことで知られる。ただ、「広く浅くではなく、本当に気の合う人達と狭くても深いお付き合いをしたい」という田原自身の信条もあり、芸能界での交友関係はそれほど広くない。なお、三浦は阿川佐和子のTVインタビューの中で、以前の田原の歌唱力について「微妙に音程が危ないところがある」と発言。逆に、三浦が歌った「グッドラックLOVE」について、田原から「安定感抜群だな」と言われたことも明かした。
  • 1999年以降2001年まで、田原が主演したドラマ『巡査びんびん物語』『教師びんびん物語』が2時間ドラマ枠で放映された。
  • 2004年にNHKで研ナオコとダンディ坂野と『教師びんびん物語』のコントを行った事がある。
  • 2006年6月からインターネットラジオ番組「田原俊彦DOUBLE"T"リラックスタイム」を開始。2009年シーズン4では視聴者数(ユニークユーザー)が25万人を超えている。
  • 2010年4月同番組はシーズン5を迎え、田原俊彦DOUBLE"T"リラックスタイム5と題し、毎週金曜日15時更新、アーカイブ放送も24時間365日常時視聴可能である。
  • 2009年4月にはデビュー30周年を迎え、田原俊彦デビュー30周年記念プロジェクト公式サイトを立ち上げた。
  • 2009年5月27日、23年ぶりとなる自叙伝『職業=田原俊彦』(KKロングセラーズ刊)を出版。
  • 2010年4月22日、LIVE DVD「30th Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE“T”TOUR 2009」を発売。

 

シングル
  1. 哀愁でいと (1980.06.21)
  2. ハッとして!Good (1980.09.21)
  3. 恋=Do! (1981.01.12)
  4. ブギ浮ぎI LOVE YOU (1981.04.01)
  5. キミに決定! (1981.07.01)
  6. 悲しみ2(TOO)ヤング (1981.09.02)
  7. グッドラックLOVE (1981.10.16)
  8. 君に薔薇薔薇…という感じ (1982.01.27)
  9. 原宿キッス (1982.05.08)
  10. NINJIN娘 (1982.08.06)
  11. 誘惑スレスレ (1982.10.15)
  12. ラブ・シュプール (1982.12.18)
  13. ピエロ (1983.02.17)
  14. シャワーな気分 (1983.05.18)
  15. さらば‥夏 (1983.08.12)
  16. エル・オー・ヴイ・愛・N・G (1983.11.18)
  17. チャールストンにはまだ早い (1984.02.03)
  18. 騎士道 (1984.05.23)
  19. 顔に書いた恋愛小説(ロマンス) (1984.08.08)
  20. ラストシーンは腕の中で (1984.11.14)
  21. 銀河の神話 (1985.02.01)
  22. 堕ちないでマドンナ (1985.05.16)
  23. 夏ざかりほの字組(Toshi & Naoko、研ナオコとのデュエット) (1985.07.21)
  24. 華麗なる賭け (1985.08.14)
  25. It's BAD (1985.11.28)
  26. Hardにやさしく (1986.03.05)
  27. ベルエポックによろしく (1986.06.19)
  28. あッ (1986.09.21)
  29. KID (1987.01.21)
  30. “さようなら”からはじめよう (1987.06.21)
  31. どうする?(連続ドラマ『ラジオびんびん物語』主題歌) (1987.09.11)
  32. 夢であいましょう (1988.01.21)
  33. 抱きしめてTONIGHT(連続ドラマ『教師びんびん物語』主題歌) (1988.04.21)
  34. かっこつかないね(連続ドラマ『金太十番勝負!』主題歌) (1988.08.17)
  35. 愛しすぎて (1989.01.11)
  36. ごめんよ涙(連続ドラマ『教師びんびん物語II』主題歌) (1989.04.19)
  37. ひとりぼっちにしないから (1989.09.26)
  38. ジャングルJungle(連続ドラマ『日本一のカッ飛び男』主題歌) (1990.03.21)
  39. NUDE (1990.11.28)
  40. 夏いまさら一目惚れ (1991.05.02)
  41. 思い出に負けない (1992.04.17)
  42. 雨が叫んでる(現在のところ、オリコントップ10入りした最後の曲)(連続ドラマ『逃亡者』主題歌) (1992.08.05)
  43. ダンシング・ビースト (1993.07.07)
  44. KISSで女は薔薇になる(連続ドラマ『愛してるよ!』主題歌) (1993.11.03)
  45. 雪のないクリスマス (1994.11.02)
  46. 魂を愛が支配する (1995.08.19)
  47. 真夜中のワンコール (1996.02.21)
  48. DA・DI・DA (1996.06.21)
  49. A NIGHT TO REMEMBER (1997.01.18)
  50. EASY...LOVE ME... (1997.11.21)
  51. キミニオチテユク (1998.06.24)
  52. 涙にさよならしないか (1999.07.23)
  53. 抱きしめていいですか (2001.08.01)
  54. DO-YO (2002.07.31)
  55. DANGAN LOVE-弾丸愛- (2004.07.07)
  56. 恋すれどシャナナ(田原俊彦&研ナオコ) (2004.10.21)
  57. 願いを星の夜へ‥‥ (2005.08.03)
  58. ジラシテ果実 (2006.07.05)
  59. Cordially (2009.6.17)
  60. シンデレラ (2010.5.7)
  61. Rainy X'mas Day (2010.11.17)
  62. さよならloneliness (2011.04.20)
  63. BLUE(feat.LUV) (2011.08.03)
  64. ヒマワリ/星のように (2011.11.16)
  65. Mr. BIG (2012.6.20)
  66. LOVE&DREAM feat.SKY-HI/Bonita (2014.6.25)




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