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CASIOPEA 3rd

カシオペア (Casiopea) は、日本のフュージョンバンド。

概要

カシオペアは、1977年に結成。ヤマハのバンド・コンテスト出場を足掛かりにして1979年にデビュー。カシオペアは以来、フュージョン音楽界の第一線でアルバムなどの作品制作やライブ活動を毎年ほぼ絶えることなく続けてきたが、2006年にすべての活動を一旦休止。カシオペアは2012年にCASIOPEA 3rd(カシオペア・サード)として活動を再開している。

歴史

第1期(結成から1989年まで)

カシオペアは、野呂一生と櫻井哲夫の出会いによる結成

1974年、当時高校三年生だった野呂一生と高校二年生だった櫻井哲夫は別々の高校に通っていたが、ともに属していた都内のロック演奏のコミュニティで出会って意気投合し、ベック・ボガート & アピスを目標として都内の練習スタジオでセッションしだすようになる。翌1975年、野呂は明星大学に進学し、その大学の軽音楽同好会のメンバーで構成されたロックバンドのファンシーハウスや中山ラビのバックバンドに参加してセミプロとして活動開始するも、それらはいずれも短期で離脱して、自作曲を元にした櫻井とのバンド活動にシフトが置かれるようになる。ボーカルを従える時期などもあったが、野呂と櫻井以外は常にメンバーは流動的で、次第にハードロックやファンクをベースとして、そこにジャズのエッセンスを加えたインスト音楽にバンドの方向性は持って行かれた。

バンド名の由来

野呂と櫻井で結成したものの、このふたり以外に固定メンバーが揃わずに活動していたためバンド名もライブを行う度に適当に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出があり、野呂が自宅に帰って母親に相談したところ、「星座の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を広げて選んだのがカシオペアである。ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元のカシオペヤ座(Cassiopeia) の正式な表記とは異なる。

バンド・コンテスト出場と向谷実の加入

バンドの名称をカシオペアと改めた後の1976年、野呂と櫻井、先述のロック演奏のコミュニティに属していた小池秀彦(キーボード)と鈴木徹(ドラム)を入れた4人編成でヤマハ主催のアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest'76」に出場し、決勝大会まで進出して野呂がベストギタリスト賞を獲得したことでアマチュア・シーンに名前が知れ始める。しかし、出場後に小池と鈴木が脱退し、再び野呂と櫻井のふたりだけになる。翌1977年に開催される「EastWest'77」に出場するべくメンバー探しに奔走。野呂は友人のツテを頼って、自分と同学年の年齢で、当時合歓音楽院(現・ヤマハ音楽院)エレクトーン科在籍中だった向谷実をキーボーディストに勧誘。その際、野呂はカシオペアの指向について、向谷が信奉していたミュージシャンのひとりを引き合いに出して「チック・コリアみたいな音楽(当時活動していたエレクトリック編成のリターン・トゥ・フォーエヴァー)をやっている」と口説いた。そして向谷を入れたカシオペアは自らのオーディションにより選んだ佐々木隆を加えて同コンテストに再出場。カシオペアは最優秀グループ賞と野呂の二年連続のベストギタリスト賞を受賞した。これを足がかりにプロデビュー目指して都内近郊で精力的にライブ活動が始められた。1990年代以降はこの1977年を公式にカシオペア結成の年としている。

このデビュー前の時期、「EastWest'77」の審査員だった鳴瀬喜博に見いだされ、野呂と向谷はプロとしての仕事に度々誘われるようになる。また、大村憲司、村上秀一といったフュージョンに傾倒していたロック系ミュージシャンとも交流を築く。先行してデビューしていたプリズムとは同じロック演奏のコミュニティ出身だったことから、ともに結成以前からメンバー間の交流もあった一方で、フィールド違いの大学のジャズ研出身だったザ・スクエア(現・T-SQUARE)とはデビューしてから知り合うことになるのでこの当時は面識さえもなかった。また、ともに「EastWest'77」に出場して決勝大会まで進出したサザンオールスターズとはプロ志向どうしであったから合同でライブを行ったり、一緒にイベント出演をするなど共演の機会が多かったバンドの一つだった。

デビュー

1979年5月、日本におけるフュージョン・ブームの真っ直中、アルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。当時のメンバーは「EastWest'77」に出場したときからの野呂一生(ギター)、向谷実 (キーボード)、櫻井哲夫(ベース)、佐々木隆(ドラム)。4人の演奏に加えてオーバー・ダビングながら、ブレッカー・ブラザーズ(ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー)、デイヴィッド・サンボーンらがゲスト参加した豪華な作りとなった。そのデビューアルバム『CASIOPEA』の帯には超絶技巧でアクロバティックな演奏スタイルを示した「スリル、スピード、スーパー・テクニック」というキャッチコピーが与えられた。このキャッチコピーは以後カシオペアの音楽性を表す代名詞となる。1979年のデビュー時、アマチュア時代からの活動拠点であった都内近郊では一定の認知度と人気は既にあったが、全国的に名が知られ始めたのは、同年の日本航空のニューヨーク・キャンペーンのCM曲としてデビューアルバム後に発表したシングル「I LOVE NEW YORK」が使用されてから。また、その「I LOVE NEW YORK」を収録した2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』がデビューアルバム以上の売り上げもみせるなどして活動は好調の兆しを見せていたのだが、ドラムの佐々木が音楽的な方向性の違いにより脱退することが決まってしまった。

神保彰の加入

1980年、カシオペアはドラムを神保彰にメンバーチェンジ。前年の秋、慶應義塾大学在学中の櫻井がゼミ仲間から同大学のジャズのビッグバンド、慶應義塾大学ライトミュージックソサエティのライブに就職活動で出演できないベーシストの代役を依頼され受諾。そこで出会ったのがそのビッグバンドに在籍していた神保であった。櫻井は神保に卓越した才能を見いだし、彼を佐々木の脱退が決定事項となっていたカシオペアの次期ドラマーに推薦し、カシオペアはメンバーとスタッフ総出で神保を口説き落としてメンバーに迎えた。当時大学3年生だった神保はカシオペアに誘われるまではプロ経験はなく、また将来プロになる志向もなかった。しかし、ビッグバンドの活動とは別に、敬愛するアメリカのドラマーのスティーブ・ガッドとハービー・メイソンが参加した洋楽フュージョンのレコードを片っ端から聴いていてコピー演奏していたり、小編成のコンボスタイルのフュージョンへの憧れや造詣は深く、それらと近似したカシオペアの音楽性にやりたいことを見いだしてプロになることに決断した。

黄金期

カシオペアは、神保が加入してすぐにライブ・レコーディングされた3枚目のアルバム『THUNDER LIVE』は、音楽誌『ADLiB』の連載企画「ブラインド・フォールド・テスト」(来日した海外のフュージョン系の著名ミュージシャンに、日本のフュージョン系アーティストの新譜レコードをアーティスト名やプロフィールなど目隠し状態で伏せて聴かせて、音だけの判断で評論してもらう)で賞賛され続けたことで話題を呼び、人気が一気に高まっていく。以後、アルバムを出すごとに売り上げを伸ばし続け、ライブの規模と動員もそれにともなって拡張していった。

カシオペアの所属レコード会社、アルファレコードが海外進出に意欲的で、神保加入後のデビュー3年目の1981年にアメリカ、翌1982年にイギリス向けのレコードをそれぞれ製作して海外進出を果たす。カシオペアはレコード発売ばかりでなく、以降はヨーロッパ、南米、香港、東南アジアなどではライブも行うようになる。

カシオペアはメディア展開も音楽誌やFM番組出演にとどまらず、1984年には音楽を担当したのと併せてメンバー全員で出演もしたマクセルのビデオテープのCMがテレビで連日オンエア、それと前後してNHK『レッツゴーヤング』、フジテレビ『夜のヒットスタジオDX』などのテレビの人気音楽番組への出演も果たしていき、音楽ファンばかりではない一般への知名度も広く浸透していった。また、1984年のヨーロッパツアーのイギリス公演がNHKのニュース番組『ニュースセンター9時』に取材されて、日本での活動と変わらぬ盛況ぶりが伝えられた。このようにカシオペアは国内外で確固たる人気を築いていった。

1986年、ヨーロッパ圏や東南アジア圏の海外での成功を勢いにして、アルバム『SUN SUN』で再度の全米進出を試みる。国内同様に市場規模が限られているジャズ・フュージョンではなく、市場規模が一番大きいポップ・ミュージックのカテゴリーに合うように、プロデューサーにカルロス・アロマーを迎えてボーカル曲の導入やその当時の最先端の流行を追った音楽性に変化させたものの、結局は適わなかった。これで諦めず、翌1987年の次作のスタジオ・アルバム『PLATINUM』の音楽性も『SUN SUN』のそれをさらに押し進めたもので通した。しかし、1980年代後半に入ってからのこのアメリカ市場を見据えた音楽性の変化は、国内の活動にも響いて人気が下降していってしまう。

メンバー分裂

1988年までのカシオペアは年間2枚のアルバム制作と国内外で年間100本前後に渡るライブをこなしていた。常にカシオペアはグループとしての活動を優先させたため、メンバーのソロ活動は制限されることになり、他のバンドとの掛け持ちもなく、他アーティストのライブやレコーディングへのゲスト参加も少なかった。1985年と1986年の当初から期間が定められていたソロ活動も各自ソロアルバムを制作するに留まっていた。

1989年、カシオペアはグループとしての活動を休止し、メンバーのソロ活動期間に入る。そのなかで櫻井と神保はメンバーを集めてボーカル音楽のバンド、シャンバラを結成するが、野呂と向谷は「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」としてふたりに活動停止を要請。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立出来ると主張。野呂・向谷と櫻井・神保の両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを脱退してしまう。翌年、ふたりはシャンバラ以外にフュージョン・シーンで活動するジンサクというユニットを結成する。

第2期(1990年から2006年 まで)

鳴瀬喜博の加入

櫻井と神保の脱退を受けて、1990年にセッション・ベーシストの御大“ナルチョ”こと鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎える。鳴瀬はカシオペアがアマチュア時代に参加した「EastWest'77」で審査員をして以来の、日山はカシオペアのデビュー前後に活動していたフュージョン・バンド、クロス・ウィンドの元メンバーでそれ以来の付き合いと、音楽性や技能とともに継続して活動できるように知古の者を選んだ。メンバーチェンジをしたカシオペアは、すぐさまアルバム『THE PARTY』と同タイトルの映像作品を制作し、同時発売するとともにライブ活動も再開した。翌1991年、アルバム『FULL COLORS』を制作して発売。前作同様にインスト曲のみで構成される作品であり、1980年代後半に変貌させていた音楽性を修正していた。

1992年に病気療養を理由に日山が脱退し、その後任に当時22歳の熊谷徳明が加入した。熊谷は海外での音楽留学から帰国後、国内での活動を見いだすためにアマチュア時代に敬愛していたカシオペアの所属事務所にプロフィールとデモテープを送っていたのが採用のきっかけとなった。

神保彰のサポート復帰

カシオペアはメンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のアーティストとして韓国公演を行って話題となる。しかし、カシオペアはこの年かぎりで熊谷が脱退。1997年からカシオペアは、野呂・向谷・鳴瀬の3人による名義のユニットとなり、そこに神保がサポートメンバーで復帰して支えていく。1997年中はアルバム『LIGHT AND SHADOWS』のロス・レコーディングに帯同していなかったり、参加名義も“スペシャル・サポート”だったのが、翌1998年からは全てのスケジュールに帯同するようになり、参加名義も“スペシャル”が取れた普遍的な意味での只の“サポート”となっていく。2004年からは、その神保と則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。

活動減少

1990年代前半は第1期のようにグループとしての活動を優先させたが、1990年代後半に入ると、向谷が鉄道事業の手始めとなるトレインシミュレーターの制作、鳴瀬が野獣王国のメンバーとして活動開始、野呂も七年ぶりのソロアルバム『TOP SECRET』の制作や青木智仁、斉藤ノブらの誘いを受けてのセッション活動に参加しだすようになって各々のソロ活動が活発化する。その分、カシオペアのライブの本数は年々減少していった。

2000年代に入ると、向谷の鉄道事業は以前よりも拡大、鳴瀬は野獣王国に加え、リーダープロジェクトのURUGOME(1980年代後半に鳴瀬がリーダーとなって活動していた「うるさくてゴメンねBAND」のリユニオン)も活動開始、野呂がリーダープロジェクトでのアルバム制作と定期的なライブ活動をするなど、さらにソロ活動の比重が高まっていった。この頃の年間のライブ数は多くて10本程度だった。

2006年8月1日、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディングおよびライブなどの活動をすべて休止すると発表した。

活動休止期(2006年から2012年まで)

カシオペアの活動休止期間中のメンバーの音楽活動はそれぞれリーダープロジェクトを立ち上げてのソロ活動が中心となっていた。この期間中は一度たりともリユニオンによるライブやレコーディングはなされなかったが、メンバー各々で集まっての音楽活動や、参加するライブでカシオペアの曲は演奏されていた。

カシオペアの活動休止したその年から、鳴瀬は野獣王国やURUGOMEに加えて、カシオペアに提供した自作曲を中心に披露するためのユニット、Narucho-ICE(ナルチョイス)を結成して定期的にライブ活動開始。ベース、ギター、ドラム、ホーン×3の6人編成に、初期は向谷がゲスト扱いで毎回参加し、向谷の自作曲や野呂が書いた代表曲も演奏された。野呂も2009年と2012年の合計2回参加して「ASAYAKE」や「FIGHT MAN」などの自作曲にして代表曲を演奏したが、野呂と向谷の両人が揃って参加することはなかった。

向谷は鉄道事業の音楽制作において起用しているミュージシャンらで構成したユニット、向谷実とメロディーズを結成した。キーボード、ギター、ベース、ドラム、サックス、バイオリンの6人編成で、ライブ活動では、メロディーズで制作した曲、過去の向谷のリーダープロジェクトで制作した曲に加えて、カシオペアでの自作曲も積極的に取り上げていた。カシオペアのメンバーとの共演としては、先述のNarucho-ICEへのゲスト参加、向谷実×中西圭三プロジェクトではレコーディングに鳴瀬と神保を起用、さらに神保とは実験的な音楽制作も行っていた。

2008年、野呂はカシオペアとそれまでのソロプロジェクトを分け隔てなく考えた、野呂曰く「自分がやりたいことをとことん追求」したアルバム『INNER TIMES』を制作し、レコーディングメンバーを制作中にバンド化させて、ソロ名義ではなくそのバンド名のISSEI NORO INSPIRITS(イッセイノロ・インスピリッツ)名義で発表する。ISSEI NORO INSPIRITSは、ギター、キーボード×2、ベース、ドラムの5人編成で、神保彰も参加している。この活動休止期間中に4枚のアルバム、1枚の映像作品を制作し、少ない本数ながらも定期的にライブも行っていた。ただし、作品においてもライブにおいてもカシオペアの曲は取り上げられることはなかった。なお、野呂と鳴瀬はともに東京音楽大学の講師で毎週のように顔を合わせていて、授業の一環で一緒に生徒たちの制作活動をサポートするときもある。

カシオペアのサポートメンバーだった神保は、演奏者が自分独りだけによるライブ、ワンマンオーケストラにおいて、休止後からカシオペアで自作した曲と「ASAYAKE」などの代表曲を取り上げて演奏していた。また、リーダーグループで2009年に出演した東京JAZZでは自作曲にして代表曲である「MID-MANHATTAN」を、そのオリジナルが収録された1982年のアルバム『FOUR BY FOUR』にも参加したギタリスト、リー・リトナーとセッションしたことから話題となった。

第3期(2012年から)

2012年4月20日、カシオペア結成35周年を迎えるにあたって、向谷の脱退とその後任として大高清美(キーボード)の加入、6年振りの活動再開がカシオペアオフィシャルサイトにて発表された。また、カシオペア活動再開後の名義をCASIOPEA 3rdとした。再開後の最初のステージは同年9月の東京JAZZとその前日に単独出演で行われた前夜祭イベント(トーク&ライブ)。その後、カシオペア国内ツアーに先行してインドネシアのジャカルタでの単独公演、そして10月に東名阪の国内単独公演ツアーが行われた。ライブは活動休止前の既存の曲の演奏が中心ではあったが、CASIOPEA 3rdとして活動再開表明後に野呂が書き下ろした「ARROW OF TIME」がレパートリーに加わっていた。

カシオペアの制作活動も再開されていて、同年12月に出演したフュージョン・イベント「LIVE IN TOKYO CROSSOVER NIGHT」関連のコンピレーション・アルバム『CROSSOVER NIGHT~CROSSOVER JAPAN 2012~』に、CASIOPEA 3rdで新たにスタジオ・レコーディングした「FIGHT MAN(2012ver.) 」と「GOLDEN WAVES(2012ver.) 」の2曲を収録。また、活動再開後初のツアーからSHIBUYA-AXでの単独公演を収録したライブDVDと2枚組CDが『LIVE LIFTOFF 2012』としてそれぞれソフト化されている。

CASIOPEA 3rdの活動はメンバー各々のソロ活動と併せて行われている。野呂は活動休止中に作ったリーダープロジェクトであるISSEI NORO INSPIRITSを継続。鳴瀬もNarucho-ICEを継続させたほか、活動再開の発表直前に新たなリーダープロジェクトであるザ・チョッパーズ・レボリューションを結成している。大高は加入以前の参加プロジェクトやリーダープロジェクトを継続。神保も休止前と同じく全活動に帯同するものの引き続きサポートドラムという立場で参加している。それ故、年間の活動はスケジュール的にごく限られた期間のなかで行われている。

2013年CASIOPEA 3rdは7月から8月にかけて日本各地でライブを開催。11月20日にはCASIOPEA 3rd初の、そして8年ぶりのオリジナルアルバム『TA・MA・TE・BOX』の発表を予定している。


ディスコグラフィ

1979年のレコードデビュー以来、カシオペアは現在までに40枚近くのアルバムをリリースしている。ここではオリジナルアルバムを中心に、主な作品や、近作のDVD作品について詳述する。 なお、アルファレコード → アルファミュージック(ALFA)やパイオニアLDC(PIONEER)からのものを、「前後」と分けてあるが、時系列順に並べるため便宜上のものである。 レコード会社・レーベルの再編成・統合に伴い再発盤は、ALFA時代の音源は、ヴィレッジ・ミュージック/ソニー(ちなみにT-SQUAREの所属レコード会社である。また、2002年にヴィレッジからALFA時代のCDが再発された際、T-SQUAREも同時期に同社から再発されていた)より、PIONEER時代の音源は、社名変更されたジェネオン エンタテインメント → ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン(GENEON)よりリリースされている。

MUSIC

前ALFA時代

  • CASIOPEA(1979年5月25日)
  • SUPER FLIGHT(1979年11月25日)
  • THUNDER LIVE(1980年4月21日)
  • MAKE UP CITY(1980年11月21日)
  • EYES OF THE MIND(1981年4月21日)
  • CROSS POINT(1981年10月21日)
  • MINT JAMS(1982年5月21日)
  • FOUR BY FOUR(1982年12月16日)
  • PHOTOGRAPHS(1983年4月23日)
  • JIVE JIVE(1983年11月30日)
  • THE SOUNDGRAPHY(1984年4月25日)
  • DOWN UPBEAT(1984年10月25日)
  • HALLE(1985年9月10日)
  • CASIOPEA LIVE(1985年12月21日)
  • SUN SUN(1986年9月10日)
  • CASIOPEA PERFECT LIVE II(1987年1月27日)

POLYDOR時代

  • PLATINUM(1987年9月1日)
  • EUPHONY(1988年4月25日)
  • WORLD LIVE '88(1988年11月25日)

前PIONEER LDC時代

  • THE PARTY(1990年6月25日 PICL-1006)
  • SPLENDOR (1990年11月25日 シングル盤) アルバム未収録
  • FULL COLORS(1991年5月25日 PICL-1016)
  • active(1992年5月25日 PICL-1036)
  • WE WANT MORE(1992年8月25日 PICL-1039 ライブ盤)
  • MADE IN MELBOURNE(1994年3月23日 PICL-1070 ライブ盤)

後ALFA時代

  • DRAMATIC(1993年5月21日)
  • ANSWERS(1994年5月25日)
  • HEARTY NOTES(1994年8月24日)

PONY CANYON時代

  • ASIAN DREAMER(1994年12月16日)
  • FRESHNESS(1995年5月19日)
  • FLOWERS(1996年9月20日)
  • LIGHT AND SHADOWS(1997年9月3日)
  • BE(1998年9月18日)
  • MATERIAL(1999年5月19日)

後PIONEER LDC → GENEON時代

  • 20th(2000年2月23日)
  • Bitter Sweet(2000年6月14日)
  • MAIN GATE(2001年7月11日)
  • INSPIRE(2002年7月17日)
  • PLACES(2003年7月2日)
  • MARBLE(2004年11月25日)
  • GIG 25(2005年2月25日)
  • SIGNAL(Synchronized DNA(=神保彰+則竹裕之)との共作、2005年12月21日)

復帰後 HATS UNLIMITED時代

  • CASIOPEA 3rd/LIVE LIFTOFF 2012(2013年4月17日)

VISUAL

DVD

  • VINTAGE 2002(2003年)
  • CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!(2004年)
  • the way of CASIOPEA(2004年)
  • 5 STARS LIVE(2005年)
  • CASIOPEA 3rd/LIVE LIFTOFF 2012(2012年12月26日、HATS UNLIMITED)


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2013/11/1現在 Copyleft(c)

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